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最近思う、わたしと馬のあれこれ//文字に表すということ…

勘違いが実を結びました。

☝こちらはバイクのステッカー候補でした。「19馬力」をなんとか表したくて、考え続けてこんな最終形に。わ…わかりにくい…。本来の使用目的は一旦置いておいて、結構お気に入りなんです。この芦毛ちゃん。無表情の裏にありそうな感情と、くっきりした二重線。勢いがありそうで止まっているようにも見える姿勢。いろんな要素が組み合わさって芦毛ちゃんになってます。

思えば自分の絵、普段はこんなにじろじろ見たり、考えたりしない…。

単純に時間がないから、というのも理由の1つですが、描いて満足してしまうことが多くて。これが私の成長具合が少ない一因かも…()

日常の中で、ネットや、本や、雑誌や…たくさんの場所で、「文字と絵」を見ます。それをじっと見れば、どんな気持ちで描いていたのか、とか何を伝えたいのか、というのがほんのり見えてくる。そのすべてを解読できているとは思えないのですが、少なくともその表面は見える。そして「知りたくなって」どんどん深入りする。…。このループ…?流れに見てくださった人を引き込めるか、というところが最近の「思うところ」です。

音感がいい!、感受性が豊か!、といったような、感覚派の人間ではない私。その逆が何にあたるのか、イマイチうまく文字に起こせそうにはありませんが、「絵、写真にくっついているキャプションでその世界観に入れた気持ちになる」…。。。うーん??

例えば美術館とか、絵がたくさんある場所では、もちろんファーストインプレッションで興味を持って、そこから入っていく感じ。それでも、自分でその絵を読み解く前に、とりあえず説明文を読みたくなる。読んだうえで、その説明文にあるいわばあらすじ、導入を頭に入れたうえで、ある程度の土台を持って絵に入り込みたい。

悪く言えば自分でゼロから考えることを放棄しがち。

未知のもの、初めてみたものとの出会いはいつだって楽しいです。それでも、それらが持っている不安感や、緊張感がどうしても気になってしまう。私の解釈はこれであっているんだろうか…などと余計なことが邪魔をしてくる。

たとえ正解がないものでも、正解を求めてしまう、というのが一番わかりやすいかもしれません。頭でっかち…と言うのでしょうか。正解を求めることだけが正解じゃない…あるいは良い方法ではないのかもしれない。人それぞれ、どんな「こたえ」を持っていても良いのかもしれない。それでも「間違えたくない」と思ってしまう頑なな気持ち。これが自分の足かせに…?、いや、ある意味で支えになっているのかもしれません。

ここ最近…というか、かなり前から、自分の世界の狭さ、表現力の薄さ、が気になっていて、それを改善したいと思うと同時に、私らしさ、というものが何なのか、がふらふらとブレて見えてきて、なかなか気持ちが落ち着きません。

最終的にどこにたどり着くのか、わかりそうにもありませんが、こうしてたまに文字として書いてみることに、大きな意味がある気がしています。

そしてこれはこの前描いたスピードスター賞の下書き。

馬の後ろ脚について、自分の中で新発見。

ずっと勘違いしてたみたい。。。なんだか自然じゃないなあ…とぼんやりとは思っていましたが、骨格がそもそもの原因だったとは…。

気分一新、また一歩新しい事実を知ったわたしのお馬たち、こころに響くような雰囲気になっていけるよう、ちょっとずつがんばります。