無題 - ‎2022‎年‎4‎月‎8‎日 ‎21‎.‎53‎

2022.04.08//ヒトにはヒトの、自分には自分の、役割がある。

久しぶりにジャンパー無しでも外出できた今日。日差しもあって、ちょっと風は強かった気もしますが春らしさ、全開です。しかし春は激動。毎年毎年季節にも、時流にも、取り残されてあわただしく過ごします。今年も例年通り不思議なテンションで、新しく始まった授業に一喜一憂しながら平日を終えました。なかなか安定してきませんが、気持ちはなんとか前を向いて…いるかな…。1つ学年が上がって、専門的な科目が90%を占めるようになった授業。今日も今日とて、そんな授業があったわけなのですが、ふと隣人のパソコンをのぞいたら……ガイダンス中にも関わらず(みんな聞いてないんですが)「よく見るプログラムコードのフリー素材」みたいな画面がずらずら。一時も指と画面が止まることなく、コードは上から下へ、流れていく…。そんな様を私は隣からぽけーっと覗いてしまったんです。何が起きていたんだろう…。。。未知数な世界が広がっていました。そう、同じクラスにいるとはいえ、プログラミング能力はその人次第。私は底辺にいるために、毎授業・毎課題、涙目になりながら進めるわけなのですが、そんな私をしり目におっそろしい速さでプログラムしていくクラスメイト達。今日、はっきりしたことは「あ、この人がいるなら私はプログラミングする必要ないや」ということです。圧倒的にその人に任せた方が効率的で、いいもんができる。これは誰の目にも明らかです。やってくれる、得意とする人が近くにいるなら、それをやるには時間がかかりすぎてしまう私は他にできることで貢献すればいい。ただ、そういった開発をチームで進めていくときにはチーム全体が作成物の概要からプログラムのコードまで、全て理解している必要がある。そんな時に「読む」力が大事になってきます。私がなんとか脳みそを振り絞って書くプログラムなんて、たくさん穴があるはずで、練習の時なんかはついつい書く意味ないじゃん…とか思ってしまう(つらいから)。だけど、「手を動かすことに意味がある」と言われるのは、書けばアルゴリズムや言語を読んで、理解していく力がついてくれるから。そう思ったんです。書けなくても、読めればチームの力になれるかも。書けるに越したことはありませんが、できることから伸ばして、力にしていくべき。特にこういった不得意分野では。隣の方のとてつもないプログラム速度を目の当たりにして、絶望を味わったとともに、「じゃあ私には何ができる?どんな存在価値がある?」と考えを広げていけたことに一歩成長を感じた1日でした。

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