無題 - ‎2022‎年‎7‎月‎2‎日 ‎16‎.‎33‎.‎05

2022.07.02//こんにちは、7月…!

学校に全力投球するの、やめます…!!

毎年思いますが、上半期・下半期と言いつつも絶対半分になってませんよね…?上半期の方が短い…ですよね…??学校に通う身ですので、学期という年の切れ目があるからそう感じるのかもしれませんが、それにしてもぎゅっと詰まった2022年、上半期でした。さんざんやりたいことを書き続けて、結局何もできなくって、ついでに学校の辛さなんかもぶちまけて…という日記を続けてきました。やらなきゃいけないことをやらないと、やりたいことはできないんです。これは世の中の決まり事…で、どうしようもない部分。だけど、やらなきゃいけないことで時間が無くなっちゃってやりたいことができないと自分の心がつぶれちゃいます。ようやくそれに気づきました。好不調の波がすっごく激しいな…と思っていた最近。季節の変わり目とか、年齢的なものとか、色々「ま、あれのせいかなー」と思ってなあなあにしていたのですが、きっとこの人たちだけじゃない。原因は。小学校に始まって今日までの12年くらい。「学校は休めないもの!」「授業は聞き続けなくちゃいけないもの!」「テストは常に100点を目指さなきゃいけないもの!」として生きてきました。どれも自分のため、だと思ってやってきたけど…。今、この考え方のおかげで心がキッツキツになっていることに気が付きました(ようやく)。だけど、こうやって考えてきた過去の自分のおかげで、私は今、机に向かって勉強できているのだとも思っています。過去の自分の習慣と勉強に対する思いが、今の自分の勉強への関心をつなぎとめてる。逆に、これが無くなっちゃうともう、今の自分から勉強する理由が消えます。そのくらい、勉強が辛いものになっちゃった。不思議なくらい。つらいから、過去の自分に頼って、「今までこうだったんだから今日もこうやってやれば覚えられる、できる」と思っている節がある。自分を高めようと思って鉛筆を握っているわけではない自分がいることに気づいて、、、悔しいなって。いつの間にか、こころとからだと勉強が、離れ離れになっちゃった。勉強が、「学校に行っているからやらなきゃいけないこと」になってしまって、「勉強したいから学校に行く」という思いが自分の中にはどこにもないことにも気づきました。学校も自分の社会的地位を表すために行ってるだけ。空っぽだな…私…って。勉強と部活しかやることが無かった中学の頃()とは違って、一応、一応!、やりたいことが増えてて、それをやるには勉強の割合を減らさなきゃいけないのに、減らすことができずやりたいことを諦めることもできず。それが重なって、両方できなくなっちゃって。この辛さと悔しさがここ数カ月の一番ネックなところです。自分の目指したいところも、やりたいことも、生活環境も、ぜーんぶ変わったのに、自分の勉強に対する考え方だけが変わらなくて(変えられなくて?)、ごまかしごまかしやってきたことがどーん、と大きなおもりになって今、それを背負っています。勉強に対しても、やりたいことに対しても、明確な目標は、何も立てません。立てませんが、もっと自分のきもちに素直になろうと思います。それが、今、この瞬間からできるちょっとの変化だと思うから…。少しずつ、気持ちをほぐせていけたらいいなって。柔らかくなれたらいいな、って。そう思う、7月のはじまりです。

eclatori