無題 - ‎2022‎年‎3‎月‎12‎日 ‎17‎.‎00‎

2022.03.12//キツネとお財布を天秤にかける…

モノの値段にはいつも頭を抱えてしまいます。さっきふと覗いていたページで、とっても心が躍るような、素敵なキツネの置き物を見つけて。値段を見たら、「…(スン)…」となってしまいました。それでも、キツネ好きの友人にぜひ送りたい気持ちになっていたので、あまり大きなダメージにはなりませんでしたが。このように、数字の大きさだけでは決まらないモノの値段。自分の心が一番大きな税率になります。小さい時もあれば、大きい時もあって。買い物をする瞬間はいつだって天秤が頭をよぎりますが、この気持ちはバイトを経験してからより鮮明に浮き上がるようになりました。1時間で1000円くらい(これを言うと父母に色々「当時」のお話をされますけれど…「1000円も稼げるんか!」と。)、時間を、労働を介してお金に換えてもらう。ちなみに先述したキツネさんは10時間分くらい…でした。そうやって考えると、お金1円1円の重みが「体感」できて、同時に自分が欲しいモノも、値段と一緒にずっしりと、目の前に見えてきます。モノの実際の重さだけでなく、自分の気持ち的な意味合いも込めて、重くなる。この感覚、特別な買い物をしたときや、ずーっと気になっていたモノがようやく手に入ったときなどに、特にはっきりと感じます。これがたまらなく好き。きっとあのキツネさんもそうなると思うし、自分がこの先保持するわけではないけれど、きっと友人が大切にしてくれるだろう、と思うとますます9900円(言っちゃった!)という値段を超えて、よい重みとして、買うか買わないかの相談になるわけです。お財布と。結構私のお財布さんは厳しいので、どうなるかは分かりませんけど…。。。ただ、あのキツネさん、全部手作業の1点もので、どれもお顔、色味が違っていて…もたもたしていると違うどなたかの手に渡ってしまうというもどかしさ。さあ、どの決断を下しましょうか……絶賛悩み中です。

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